アニメ猫のアニメ日記

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「宇宙戦艦ヤマト」を作ったのは誰なのか? 豊田有恒「宇宙戦艦ヤマトの真実」を読む


今回はこちらの本を紹介する。

豊田有恒著 「宇宙戦艦ヤマトの真実 いかに誕生し、進化したか」

「宇宙戦艦ヤマト」の真実――いかに誕生し、進化したか (祥伝社新書) | 豊田有恒 | 映画 | Kindleストア | Amazon

 

日本最初のアニメシナリオライター豊田有恒とは

以前に、豊田氏がアニメ「エイトマン」そして脚本不足に悩む「鉄腕アトム」にかかわった経緯についてはこちらで紹介した本で読んだ。

日本テレビアニメの黎明 豊田有恒「日本アニメ誕生」 日本のテレビアニメはいかに始まったか - アニメ猫のアニメ日記

こちらでは豊田氏が勘違いから手塚治虫と仲たがいして和解する経緯まで書いてある。

日本のアニメの大傑作であり、今なお続編が作り続けられている「宇宙戦艦ヤマト」の原案・SF設定を作ったのが、豊田氏なのであり、黎明期のアニメを脚本を作ることで支えた大功労者である。

西崎義展との出会い、そしてヤマトの原案とSF設定を作る

アニメの世界から遠ざかっていた豊田氏に西崎義展から声がかかる。

「豊田くん、ハインラインの「地球脱出」を読んだ。ああゆうSFをやりたい」

これが殺し文句となって豊田氏がSF設定を考えることになった。豊田氏はSF小説の仕事で多忙であったにもかかわらずである。

日本で最初の宇宙SFアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の制作には、その後の日本のアニメやSF界をになう多くの人材がかかわることになる。

宇宙戦艦ヤマト」の原案とはどのようなものだったか

ハインラインの「地球脱出」はメセトラの一族と呼ばれる種族が差別と迫害から逃れるために地球から脱出して終わるお話である。このラストシーンから始まる宇宙テーマを考えた。ハインライン作品へのオマージュである。巨大ロボット物は当時、アニメ作品として多数制作され、手垢がついているのでやめておいた。

当時は大阪万博なども開催され、原子力エネルギーに対する夢と期待は大きかった。万博の後に、揺れ戻しのような形で高度成長とバラ色の未来に対する反省と反発が起こり、原子力エネルギーはまるで公害の象徴のように言われるようになってしまった。

このような時代背景を考え、放射能で破滅しかけている地球というコンセプトが固まった。地球は放射能に汚染されて、滅亡は時間の問題である。しかし、このままでは救いがないので、はるか遠い惑星に放射能除去装置を取りに行く。これが「地球脱出」の旅の始まりである。根底には西遊記のコンセプトがあった。

侵略してくる異星人の名前は当初は、「ラジェンドラ」となっていた。これは後に「ガミラス」と変更になる。デスラーの設定は松本零士がやった。放射能除去装置を取りに行く星の名前は「イスカンダル」とした。

設定原案の題名は「アステロイド6」

原案では、小惑星の中をくりぬいて宇宙船とし、小惑星に偽装しながらイスカンダルを目指すという設定だった。これは松本零士が後に、戦艦大和に変更した。

ラジェンドラ設定

ラジェンドラ人の外観をヒューマノイド型にしたのは西崎氏の要求によるものだった。ラジェンドラ人の初期設定とラストの伏線は知るとみな、驚愕するのではないか。なぜ、ガミラス星人が放射能ガスの中でないと生きていけない設定であるのか、はこの初期設定とかかわってくる。

イスカンダル星との距離、当初は二万光年だった

イスカンダル星と地球との距離は当初二万光年であったが、どんな距離にせよ途方もないもので、どのように表現するか議論された。また、SFではよく話題になるウラシマ効果も当然、考慮したが結果的には無視することに決めた。最終的には、ワープ航法を導入して、乗り切った。イスカンダル星の場所は、銀河中心方面からわかりやすいマゼラン星雲となり、距離も14万光年となった。

ヤマトで一発を当てた怪物プロデューサー西崎義展

西崎氏は、音楽プロデューサーだったが虫プロ入りからアニメ業界にかかわった。虫プロ倒産時に西崎氏は「ワンサくん」の権利を退職金がわりに手に入れた。このワンサくんの権利がヤマト制作の資金源となる。

西崎氏は、後々にさまざまな評判をとる名物プロデューサーとなるが、クリエイターをその気にさせるのはうまかったようだ。このころは謙虚だった。しかしやがて自分だけで作っているかのように錯覚し、しだいに傲慢になっていく。

最初のヤマトでは「豊田有恒原案」というクレジットが入っていた。これを西崎プロデューサーは目障りと思うようになる。後のヤマトシリーズでは、「西崎義展原案」となった。アイデアを出したクリエイターに対しての尊敬や配慮が欠けていった。

西崎義展の何が欠けていたのか

宇宙戦艦ヤマトで大ヒットした西崎氏のもとには巨額の利益が舞い込んだが、その利益をクリエイターに還元する考えはなかったらしい。功労者といえる、豊田氏や松本零士にすら雀の涙、と言える程度の報酬しか支払わなかったという。クリエイターに対してはケチと呼ばれるぐらい報酬が安いので、一度作品でかかわったクリエイターも再度一緒に仕事をすることはなく離れていった。クリエイターの評価を正しく行わず、適正な報酬を支払うことをしなかったのが、二度目、三度目の大ヒット作品を作れなかった敗因だろう。

ヤマトの著作権を争って裁判に

ヤマトは原作がなかったオリジナルアニメーションである。誰がヤマトを作ったかは明確にされないまま、制作が続けられてきた。そして、誰がどの権利を有するのかが明確になっていなかったようである。1999年になって、松本零士は「宇宙戦艦ヤマト」を作ったのは誰かという著作者を巡って西崎義展と裁判を起こすことになった。

この経緯については以下

松本零士 - Wikipedia

の「宇宙戦艦ヤマト裁判」の項目がまとまっている。

結果は、東京地方裁判所は西崎を著作者と認定し、松本側の全面敗訴となった。その後、控訴審中に和解となり裁判は終了した。ヤマトを継続して作る権利は、西崎氏の側になることがこの和解で決まった。

結局、ヤマトを作ったのは誰なのか?

豊田氏は、「宇宙戦艦ヤマトの原作は、おおよそ松本零士」と主張している。これはキャラクター設定や戦艦の設定など、多くの貢献をしていることからであろう。しかし、原案は豊田氏が大きく寄与しているし、他のアイデアを出したスタッフも多い。

裁判では著作権は西崎氏の方にあるとしたものの、原作は?というと難しい。オリジナルアニメなので、スタッフ全体がかかわっていると思うのだが、どうだろうか。

法律ではとにかくどちらかの判定を下さないといけない。またヤマトを作り続けるためにも著作権者が誰であるかは、決まっていないことには作れない。放っておくと、勝手に誰でも作っていいことみたいになってしまう。西崎氏に著作権があるという判決はちょっとおかしいような気がするが、かといって、松本氏側にヤマトを制作する権利があるのかというと、これまた違うような気もする。結局、和解という形で事実を認めるしかなかったのだろうか。

クリエイターの権利を守る

西崎氏には創造性がなかった。クリエイターではないのに、クリエイターが替えの効かない存在であることを理解しなかった。

この本の最後で、豊田氏は、クリエイターをどう守るか、知的所有権の大切さについて論じている。西崎氏は、人の心をつかむ天才であり宇宙戦艦ヤマトを成功に導いき、商売の才能もあった。しかし、クリエイターを食い物にする部分もあった。クリエイターを食い物にされないためには権利を守る必要がある。