アニメ猫のアニメ日記

アニメに関しての情報を書き連ねていきます。

やっぱりアニメで脚本は軽視されていたよね。「アニメーションの脚本術」野崎透


日本のアニメ制作において、脚本製作は軽視されている。これは業界の体質ではないか?と思っていた。これに関連して、以下の本が出たのでご紹介。

 

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アニメにおけるシナリオ制作について実際にアニメ業界にかかわっている人たちのシナリオ制作についてのインタビューを集めた本である。第0章が、”脚本を書く”を考える、と題して、脚本の書き方に関してのレクチャーする内容になっている。

インタビューされた人達は、押井守、片渕須直、丸山正雄、大河内 一楼、岡田麿里、岸本卓、加藤陽一、花田十輝とアニメ業界で活躍している人ばかりである。

まずは第0章「”脚本を書く”を考える」

脚本の書き方に関するまとめ的な章だがのっけから、ぶちかましてくる。引用すると

まず問いたい。そもそも脚本に書き方などあるのだろうか?

本音を言わせてもらえば、答えは「そんなものはない」である。

筆者は一年前まで某大学の映画学科で脚本の講師を務めてきたが、年度初めの講義で決まって学生に言っていたのも「この講義では脚本の書き方を教えません。もしそんなものがあるのなら、僕たちの方で教えてもらいたいくらいです」という言葉であった。

いきなり脚本の書き方を否定である。もちろん、その後に脚本の書き方の方法論やメソッドについても語るが、過去の作品に用いられたパターンの解析や応用方法があることが語られるが、それは新しい物を作り出すこととは別のものとなることが指摘されている。過去の作品で使われた方法論は教えられるが、同時にその方法論を最終的には否定するという、考えようにとってはかなり高度な目標設定がみえる。とはいっても、ちゃんと普通の脚本の書き方についても書いてます。

さて、監督のインタビューの中で、その中で、押井守監督の言っている内容がアニメ業界における脚本とか脚本家の立ち位置とか、位置付けについておもしろいので紹介する。

押井守監督のインタビュー:かつて脚本は徹底的に軽視されていた

かつては押井監督も脚本を多く書いていたが、それは書く人がいなかったからだった。「うる星」は途中でマンガ原作がなくなってオリジナル脚本が必要になったため、かなりデタラメに書く体制を回すしかなかった。本読みに出る暇なかった。

今は、制作委員会方式で、大勢のプロデューサーがいて口出ししてくる。これは穴がない、作家性なさそう。

ヤッターマンの頃なんて、現場の人間は誰も脚本を読んでなかった。演出もあまり読んでなかった。ギャグがおもしろく無かったら値打ちはない。ストーリーは関係ない。脚本なんて跡形もない状態で、何もなかったり。

昔の人は、脚本を見ないで、コンテ切ったりしていた。

脚本家を立てたのは、プロデューサーに脚本を見せないといけなかったから。でもプロデューサーも脚本が使われないってことはわかっていた。

アニメの映画シリーズもひどかった。試写まで誰も脚本を読んでいないことがわかっちゃったことがあった。安彦良和の「アリオン」なんてものそうだった。今から思うとバカみたいな話が本当にあった。

宮崎駿は脚本無しでいきなりコンテを切っていた。アニメーションの世界は脚本はつい最近までそういう地位だった。昔の世代では、脚本なんてなかった。脚本通りに作っていたら時間が間に合わない。とにかく絵コンテを早く仕上げるためには脚本は読んでいる暇はない。昔のアニメは無法地帯だった。とにかく、結果がすべて、視聴率がすべて、おもしろければなんでもいい。監督絶対主義。おもしろい業界。

脚本が監督にほとんど修正されることもあった。脚本家と演出家は基本的に仲が悪かった。脚本家はないがしろにされることをわかっていた。

じゃあ、脚本を書かない分、演出に予算を回せるかというと、そういうわけにもいかない。脚本はやっぱり作る。しかし、スタジオに脚本が詰まれていても誰も読まない。それどころか、絵コンテを脚本通りに持っていったら怒られたw

「ホンの通りにやるんだったらお前なんか要らないんだ」

富野さんは、自分以外の脚本はほぼそのままコンテ切ってた。バンクも使いまくってた。一人で大量に時間かけないで書いた。今は脚本に時間かかる。アニメの脚本の書き方はルーズで自由だった。柱は書かない。リソースが限られていたから。リソースは演出家と総監督に集中させるしかない。脚本は真っ先に弾かれるもの。脚本家からすると、使われないのに書かないといけないという絶望。演出家も必死だからしかたなかった。おもしろくなければクビだから、演出家も必死だから、脚本どおりなんてありえなかった。

使われない脚本を読むのはむなしくないのか?いや、読まないからそんなことはない。そんな時代が長かった。

脚本が尊重されるようになったのはマンガ原作になってから。いかに原作をそのままアニメに移植するかが演出家の条件になってしまった。押井監督からすると、そんなのアニメにする意味がどこにあるんだ?アニメとマンガは違うじゃないか。

マンガとアニメは違うということを理解されてない。マンガと違って当たり前。「うる星」はその典型。原作と違うといわれてさんざん叩かれた。それでクビになりかけたが、人気が出たからウヤムヤになった。脚本家も文句を言えない。視聴率が上がったから、演出のやりたい放題だった。

脚本で一番大事なのはダイアローグ

脚本はまずはダイアローグ。優れたダイアローグが絶対に必要で、あとは構成力。脚本家はそのどちらかが優れていればいい。

読んでみて

映像作品を作るためのたたき台として考えると、脚本は必要なのか?アニメ制作に脚本は必要か?と疑問も生じる。アニメ制作には当たり前だが、アニメ台本、アフレコ用にセリフ等を入れたものは作るが、脚本を作らなくてもアニメができたりする。絵コンテは必要だが、脚本は本当に必要だろうか?

また、つまらないお話のアニメについて語る時には、必ず出てくるのが「脚本がつまらない」「脚本がしっかり作られていない」という指摘。やっぱり脚本はちゃんと作ってからアニメも作った方がいいよね、というのはなんとなくみんな思っていることなのではないだろうか。

しかし、映画の世界では、まずは脚本がおもしろくなければ、映画は絶対におもしろくならない、という格言がある。この格言が本当なら、脚本の段階でおもしろくなっていなければ、アニメはおもしろくならないはずだ。脚本がないような、または脚本を無視して作ったアニメでも、偶発的におもしろくなったりすることもあるかもしれないが、確率的に考えるとそのような作り方は成功しないだろう。

もっとも映像制作の手法もどんどん進化しているので、脚本などすっとばしていくような手法が主流になったりする時代もくるかもしれない。