「アニメ批評」というものについて考えたことを書いてみます。
「アニメ批評」は商売としては成立はしないと言われているそうです。
映画やドラマなどはなんとか映画評論の世界が以前にはあったのに、アニメの世界では評論空間が成立しずらいのだそうで。確かにあんまりネット世界でもアニメは人気紹介は多いが評論といえそうなものはとても少ないですね。これは業界の体質やアニメそのものがもつ特徴が大きくからんでいそうです。
それでもアニメをいろいろと論じたい人たちは多いと感じることも多いです。そもそも「アニメを評論する」こととはいったい、どのようなことなのでしょうか?
ズバリ、私にいわせるとアニメの評論は、アニメという表現を通じて感じた事を、自らの表現として再体験すること、でしょうか。つまり評論は、自らの表現の代償行為なんです。アニメは製作者側からの表現で、視聴者はそれを視聴することでさまざまな体験をする。そして視聴者がそれをなんらかの表現でもって再体験する。その動機の基にあるのが、視聴者の側にある表現したい動機なんでしょう。
難しく書いてしまいましたが、アニメは表現の一種であるし、視聴者が批評を書くのも表現の一種だということです。しかし、批評は通常では表現とはみなされないので、代償行為なんです。
アニメを作る側で、批評をする人は少ないです。作る事で表現できているから批評する必要性が少ないのでしょう。
そして、アニメの分析というのは、私にとって、アニメを視聴することで出てきた心の中のモヤモヤを分析して解明していくことなのです。これは自分の心の中を旅しているような気分になります。
こう考えてみると、アニメの批評は世間的に必要とされてはいなくても、自分的には必要なんだろうと思えてきました。
そもそもアニメを見る事はとても個人的な行為であって、視聴したアニメの世間的な評価と個人にとっての評価とは全く関係のない事です。他人が駄作と言おうが、名作と言おうが、それは他人の評価。自分にとって駄作か名作が重要なことのはずです。自分がどう評価するかが重要。
このような個人的な行為なのに、批評をしたくなったり分析したくなるのは批評もまた個人的な行為の延長線上にあるんでしょう。自分のためのものなのでしょう。
とこのように考えました。